November 22, 2008
「自分の絶望は誰にも理解されないだろうという絶望」が自分の中にあると私は思っています。そして、それを共有していることによって誰かとつながれるという希望は持っていません。この二つの問題提起は「話せばわかる」と安易に共感することを予め封印しておくような構造を持っていて、私はそこに共感します。 私が思うのは、社会はそういう心情を受けいれる寛容さを持つべきだということです。それが最もローコストで効果的で副作用の少ないセキュリティ対策になると考えています
100ミリたんぶら

個人的には、それは絶望ではない。諦観だと思う。
心情の理解は推測であり、理解に至ることはない。
共有によって繋がる、というのもまた幻想である。
『社会』がどの範囲の社会を指すか解らないが、『そういう心情』を受け入れる社会は昔から存在している。